ベトナムのベストセラー小説「つぶらな瞳」を読む。その5

⑤物語の年代はいつ?

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今回のテーマは「つぶらな瞳」がいったいいつの時代の物語なのかということです。

最初から最後まで読み通しましたが、直接年代を表明している箇所はありませんでした。この物語はベトナムの現代史に基づいたリアリズム文学ではなくて、ストーリーと主人公ガンの心の葛藤が中心になっているヤングアダルト文学なので、年代というものは重要ではなく物語の世界観としてあればよいのです。

しかし、それでもいつの出来事か気になりますよね。それを特定したいと思います。本文中には手掛かりとなる箇所が2か所ありました。

 

・物語に出てくる楽曲のリリース年

この物語にはガンたちの生きた時代を示す手がかりとして南ベトナムで活躍した歌手の名前がいくつか登場しますがキャリアの長い有名歌手ばかりなので年代特定は困難です。ところが2章3でユンがガンに聞かせた曲は歌手の名前ではなくて、曲名なのでそのリリース年がその時点での年代の下限だと考えて差し支えないでしょう。曲名は3曲あります。①「ビューティフル・サンデー」②「ラムール・セ・プール・リアン」③「アリーン」です。

「ラムール・セ・プール・リアン」はエンリコ・マシアスが1964年にリリースしています。「アリーン」はクリストフが1965年にリリースしています。そして「ビューティフル・サンデー」ですが、1976年に田中星児がカバーして日本でもヒットしますが、オリジナルは1972年にダニエル・ブーンがリリースしています。

つまりガンが10年生に進級してユンと同じ家に下宿し始めたときは1972年以降であると推定できます。

 

 ・ナム・トゥーおばさんの息子の負傷

ガンが6年生に進級したときにナム・トゥーおばさんの家に下宿します。このナム・トゥーおばさんには息子がおり、この時兵役でバンメトートに行っています。(1章19)

チャー・ロンが6年生に進級するとき、すでにその息子ニャンは「バンメトートの戦場に出征し、片足を失って除隊した」らしいのです。(3章11)

この間の時間はおよそ17~18年です。ガンが11年生を終えてクイニョンの師範学校に進学してしばらくしてハー・ランはチャー・ロンを出産しています。当時ともに17~18歳のはずです。

いったいいつニャンは負傷したのでしょう?

ユンが9か月で兵役を終えているのに対して10数年も戦場にいるというのは不自然です。当時の南ベトナム政府の徴兵制度の詳細を見つけることはできませんでしたが、2年以内だと考えるのが妥当でしょう。つまりニャンがバンメトートにいたのはガンが6年生になった直後1~2年の出来事だと思われます。

そしてバンメトートで戦闘があったのはいつかというと、ベトナム戦争終結間近の1975年3月です。ということは学年の始まりは9月なので、もし1975年の9月にガンが6年生に上がったとすると矛盾しますので、1973~1974年にガンは6年生に上がったと推定できます。

また以下の記述も参照する必要があります。

私たちはナム・トゥーおばさんの家にも寄ってみた。おばさんはすぐに私のことを思い出して、「あらまあ、ガンなのかい?ほんとに久しぶりだねえ」と、うれしさを隠し切れないようすで言った。(3章11)

 

ニャンというのはナム・トゥーおばさんの息子だ。バンメトートの戦場に出征し、片足を失って除隊した。おばさんは彼が死なずに帰ってきたことを心から喜び、線香に火をともして神仏に祈りをささげたが、ニャンは違った。(3章11)

ナム・トゥーおばさんの様子から見て、ガンが都市に進学するために下宿を出て以来訪問を受けていないことが見て取れます。なぜ訪問していないのにおばさんが「線香に火をともして神仏に祈りをささげた」ことを知っているのでしょう?もちろんガンがおばさんの家に下宿している間にニャンは負傷して除隊してきたのです。そうするとガンが9年生を終えるまでにニャンが負傷していたのは確実になります。

ただ、ガンが9年生の時に除隊した場合は兵役の期間が長すぎるようなので、ガンが7年か8年生の時に除隊したと見てよいと思います。

その場合、ガンが10年生のころが1977年~1978年だと思われるので「ビューティフル・サンデー」が歌われている年代とも矛盾しません。

まとめると、以下の年表が成立すると思われます。

年代 ガン年齢 学年 チャー・ロン年齢 学年 出来事
1962 1       ガン、ハー・ラン誕生
1963 2        
1964 3        
1965 4        
1966 5        
1967 6        
1968 7 1      
1969 8 2      
1970 9 3      
1971 10 4      
1972 11 5      
1973 12 6     県都
1974 13 7      
1975 14 8     ベトナム戦争終結
1976 15 9      
1977 16 10     都会へ
1978 17 11      
1979 18 12 1   チャー・ロン誕生
1980 19   2    
1981 20   3    
1982 21   4    
1983 22   5    
1984 23   6    
1985 24   7 1  
1986 25   8 2 ドイモイ政策開始 
1987 26   9 3  
1988 27   10 4  
1989 28   11 5  
1990 29   12 6  
1991 30   13 7  
1992 31   14 8  
1993 32   15 9  
1994 33   16 10  
1995 34   17 11 ハー・ランが結婚
1996 35   18 12 物語の終わり


ちなみにこの年表は満年齢ではなく数え年で計算しています。

文中には特に注釈は無いですが、ベトナム的には数え年で表現されているはずなので。

また、ニャンの負傷した1975年3月にガンが7年だったか8年だったかで誤差は-1歳生じます。

この物語はベトナムの戦後文学とは思えないぐらい戦争への言及がありません。しかしガンやハー・ランはベトナム戦争真っただ中の戦中世代なのです。一方、チャー・ロンが育ったのはドイモイ政策が採用された新しい時代のベトナムなのです。

映画を見た方は映像で年代を理解することができるでしょうが、小説はパズルを作るように読んでいくしか知るすべがありません。こうして読んでいくことで登場人物の輪郭がはっきりして、物語が生き生きとしてくるのを感じます。

 

それにしてもハー・ランは美女とはいえ、34歳で17歳の子持ちでよく結婚できましたね。これならガンにもチャンスがあったのではと思うのですが・・・

 

ベトナムのベストセラー小説「つぶらな瞳」を読む。その4

④新しい時代の女ハー・ラン

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さて、前回はチャー・ロンの名前に秘密を深読みしていったわけですが、トンデモ解釈すぎますね。普通に考えたら「Long」は「隆」の可能性のほうが高そうです。

 

今回は物語の本題に入っていきます。

この物語でハー・ランはユンの子供を妊娠してしまい、その後、結局ユンは別の女性と結婚して町から出て行ってしまいます。おそらくこの小説の読者たちには、ユンはハー・ランを弄んでで捨てたとんでもない悪党だと思われているでしょうが、私の読んだ印象は少し違います。いや、むしろどちらが悪いという話ではない気がします。

 

ユンとハー・ランの関係について整理します。ストーリーを追いますと、ガンの下宿でハー・ランはユンと出会い、その後頻繁に遊びに行くようになります。(2章7)

その後、ユンはハー・ランと会わなくなり、ビック・ホアンとよく遊ぶようになります。ハー・ランはそのことを泣いてガンに訴えます。(2章13)

一時期、ユンはハー・ランとよりを戻します。(2章17)

しかし、ユンはまたいろんな女と遊ぶようになり、ハー・ランとは疎遠になります。ハー・ランは度々ガンに泣きつきます。(2章19)

結局ハー・ランはユンとの関係を断ち切れないままユンの子供を妊娠します。(2章20)

 ユンはハー・ラン以外にいろんな女と遊んでいます。しかしハー・ランはユンにぞっこんでユンを一方的に追いかけています。それは号泣するハー・ランに対してガンが付き合うのをやめろと言った時のハー・ランの返事でよくわかります

「でも私、ユンとのお付き合いをやめることは絶対できないの」(2章19)

 ハー・ランはユンの浮気に振り回され、苦しい思いをしようとも、絶対にユンと別れる気はないのです。もはや執念です。

 

一方でユンはどうでしょうか。ハー・ランは遊び相手の一人にすぎません。結局ハー・ランを妊娠させますが、結婚する意志は無いと考えるのが妥当でしょう。

ハー・ランはユンが結婚してくれると約束してくれたとガンに言います(2章22)、しかしユンは結婚式は秀才試験が終わるまで待つようにハー・ランに言っています。この「秀才試験が終わるまで待つように」というのはおかしな話なのです。

11年生に進級した私は勉強に没頭した。学年末には秀才一次試験 が控えている。落ちれば留年なので、だれもが目の色を変えて勉強していた。しかし、ユンだけは例外で、いつもふらふら遊んでばかりいた。たぶん戦場に押し出される前から落ちるのが目に見えていたので、どうせなら遊んだほうが得だと思ったのかもしれない。(2章19)

秀才試験があるというのにふらふらと遊んで勉強しないユンがなぜ秀才試験が終わるまで待ってくれというのでしょう?おかしな話です。この個所はユンの様子をただ伝えただけの箇所ではなく、「秀才試験」が結婚の引き延ばしの口実にすぎないということをにおわせるためのものです。

ユンは実際に秀才試験に不合格になりますが結婚式をあげることはありませんでした。そしてさらに結婚式は延期されます。

「ところで、結婚式のことだけど、ユンはどう考えてるの?」

「彼からは、九か月の兵役を終えるまで待ってくれって言われてるの」

ハー・ランはまばたきしながら、とりつくろうようにいった。 (2章24)

 この態度からハー・ランが困惑しているのがわかります。秀才試験のあと夏休みに入りハー・ランはこの時点で妊娠5か月になります。そして夏休みのあと9か月もすればおおよそ妊娠から14か月以上になり、結婚式は子供は生後5か月程度の時期になると思われます。子供を出産した後の結婚は当時のベトナム社会の感覚では不名誉なことです。現在のベトナムでも出来婚は多いですが、なんとかお腹に胎児がいる間に式を挙げようと躍起になっています。ハー・ランの困惑は当然でしょう。

あるいは、このハー・ランのとりつくろうような態度は、そもそもユンとの間で結婚について約束はできていなかったことを暗示しているとも読み取れます。兵役を終えるまで待ってくれというユンの話は実はハー・ランの苦し紛れの嘘で、結婚はこの時点で白紙だった可能性もあります。

ユンは兵役を終えた時点でビック・ホアンと結婚してしまいます。その結果から省みると、ハー・ランとの結婚式が不自然に延期されて行ったのは、最初からユンにはハー・ランと結婚する気がなかったからだというと理解するのが自然でしょう。

 

一方で絶対にユンと別れたくないハー・ランと、他方でハー・ランは遊び相手にすぎないユン。この二人の関係からハー・ランが妊娠に至った流れを追うと、私はハー・ランから仕掛けたと読み取るべきではないかと思います。いろんな女に手を出すユンに捨てられないようにするために考えたハー・ランの策は男女の関係になってしまうことです。ユンを体でつなぎとめるという最後の手段に打って出たのです。

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あなたに女の子の一番大切なものをあげるわ

 このように読んでいくとユンはハー・ランをだました悪い男なのでしょうか?彼は無責任な男ではありますが、ハー・ランの肉体を弄んで捨てた悪人というイメージとは違うと思います。彼は結局ビック・ホアンと結婚します。いろんな女と遊びながらも本命の女を絞り込んだのです。ユンは責任を感じてハー・ランと結婚するという選択肢もあったでしょうが、結局そうしませんでした。ハー・ランを愛していないからです。愛していなけれれば周りから何と言われようが結婚する気はないのです。自分の気持ちに正直に生きる新しい人間なのです。

このユンの態度はまたハー・ランにも当てはまることです。ハー・ランはガンの気持ちに気付きながらもずっと素っ気ない態度をとり続けて来ました。ハー・ランが愛しているのはユンでありガンには何の気持ちもないのです。結局ユンとは破局して年も30歳を過ぎて(ベトナムでは結婚相手がいなくなると言われる、女性にとっては恐怖の年齢です!)母親にガンとの結婚を勧められても首を横に振ります。周りに何と言われても愛していないなら結婚する気はないのです。

ユンもハー・ランも同じタイプの人間なのです。私がユンをけなしてハー・ランに同情する気にならないのはここのところです。彼らは新しい時代の人間です。自分の気持ちに正直で個人としての生き方があるのです。その結果について苦しむことになってもです。

 

一方ガンは古い人間です。自分の気持ちを前面に出すことができません。彼は結局ハー・ランに愛していると直接伝えることができませんでした。

私はガンとハー・ランが結ばれる可能性はあったと思います。ユンがビック・ホアンと結婚して、ハー・ランとユンの破局が決定したあとで自分の気持ちを伝えるべきではなかったかと思います。もちろんハー・ランは拒むでしょう。しかし、その後20年近くが経過して二人が30代半ばになった時どうなのでしょうか。

ハー・ランはリンというユンに似たタイプの男と付き合っていました。この時は31,2歳でユンと破局してから14、15年も経過していたのにです。ユンの影はずっとハー・ランに付きまとっていたのです。しかし、およそ3年後にハー・ランは結局別の男と結婚してしまうのです。

ガンがもしハー・ランに正面から気持ちを打ち明けて、子供のころからのようにずっとハー・ランを支え続けていれば、三十代後半になったハー・ランはガンとの結婚を考えた可能性もあったのではないかと思うのです。

ベトナムのベストセラー小説「つぶらな瞳」を読む。その3

 ③登場人物の名前について

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 前回の記事では「つぶらな瞳」の物語の舞台はどこなのかというテーマを論じましたが、映画鑑賞者から、映画の「都会」はフエだったという情報をいただきました。

なるほど、フエだとおよそ140kmで半日のバス移動を要する距離と一致しますね。大学ならわかりますが、高校でなんでフエまで?近場のダナンやタムキーでええやろ、というところは釈然としないのですが、とりあえず小説のストーリーも大都会フエで展開していると仮定します。

 

さて、今回のテーマは名前です。この物語の主要な登場人物は4人です。主人公のガン、ヒロインのハー・ラン、恋敵のユン、ハー・ランの娘のチャー・ロンです。

ベトナム人の名前ですが、中国や日本と同じく、名字(姓)+名前の順番になっています。一部を除いて、ほとんどの場合漢字(漢越語)で表記することができます。姓が1文字の漢字、名前が2文字の漢字が多いですね。

例えばもっとも有名なベトナム人ホー・チ・ミンは姓が「胡」、名前が「志明」です。ベトナムでは姓ではなく一番最後の名前で呼ぶのが一般的なのでホー・チ・ミンは家族や友人からは「ミン」と呼ばれていたはずです。(偉くなってからは敬称付きでしょう)

 作品の登場人物は全て名前です。姓を含めて名前が出てきた例は詩人や歴史上の人物として参照されている場合に限られます。上記の4人も名前です。

ベトナム語の原書は手にしていないので小説版のwikipediaを参照しましたが、ベトナム語では

ガンは「Ngạn」

ハー・ランは「Hà Lan」

ユンは「Dũng」

チャー・ロンは「Trà Long」

のようです。

Mắt biếc (tiểu thuyết) – Wikipedia tiếng Việt

 

ガン「Ngạn」はたまに見かける男性の名前で、漢字では「彦」です。日本語では「ひこ」以外の読み方は一般的ではありませんが、音読みは「ゲン」です。三国志に詳しい人なら諸葛孔明の舅の黄承彦(こうしょうげん)を思い出すかもしれません。「彦」はすばらしい男という意味ですので美名ですね。

 

ハー・ラン「Hà Lan」は2文字になっています。普通は「Lan」と後ろの文字で呼びますが、近くに同じ名前の人がいる場合に2文字で呼ぶことが多いです。この作品ではチャー・ロンやビック・ホアンのように女性が2文字で呼ばれることが多いですが、特に名前を混同するような登場人物はおらず、作者の意図はよくわかりません。

「Lan」は一般的な女性の名前で植物の「蘭」です。とても多い名前です。

「Hà」も女性に多い名前です。日本語で「カ」と読まれるいろんな漢字が候補にあり、特定は難しいですが人名に使われるのは「河」である場合が多いです。

仮にハー・ランが阮氏であるならば本名はNguyễn Thị Hà Lanのような名前ですね。

 

ユン「Dũng」もよく見かける男性の名前です。日本語「ユウ」と読まれる漢字で候補はたくさんあるのですが、男姓の名前の場合間違いなく「勇」です。ちなみに北部では「ズン」と発音されていて混乱しますが同じ名前です。たとえば先代のベトナム首相Nguyễn Tấn Dũngは阮晋勇です。ニュースではズン首相ですが、名前はユンと同じです。

 

さて、最後はチャー・ロン「Trà Long」です。長々とうんちくを並べましたが、ここが今回の本題です。

「Trà」はベトナムでは日常的によく目にする単語です。「茶」ですよね?辞書にはいろんな漢字がありますが「Trà」を見てお茶以外を連想するベトナム人っているの?

女の子の名前に「茶」を入れる感覚がわからないので悩みましたが、いろいろ調べていくうちにサザンカやツバキを「Trà」と呼び表すことがあることに辿り着きました。サザンカやツバキはともに分類上Camelliaという同属に含まれます。中国語ではツバキ類一般を山茶と総称するようです。ベトナム語でも山茶「sơn trà」なのですが、略されるようです。そのため、ベトナムではサザンカもツバキも一括されて「Trà」と呼ばれることがあるようです。

ベトナムのツバキと切手

https://www.keisen.ac.jp/extension/research/gardening/pdf/e1_hakoda.pdf

 結論として人名の「Trà」はサザンカやツバキの花を意味しているようです。これなら女の子の名前として納得できますね。

そして「Long」なのですが、これは一般的には男性の名前で「竜」の漢字で表されます。私の知人には「Long」という名前の女性はいませんが、webで検索してみると出てきます。「Long」は女性にも使われることがあるようです。どんな漢字なのだろうかと辞典を調べていたら・・・あ!これだ!

Tra từ: 鸗 - Từ điển Hán Nôm

潰れていて読めませんね・・・大きくしましょう。

鳥の上に龍という漢字です。意味は何かというと、vịt trời、白いアヒルではなく野生の鴨です。

ここですべての点が一本の線になりました。

 

話が変わりますが、ベトナム語の原題Mắt biếcはどういう意味でしょうか?Mắtは「目」です。biếcは「つぶら」という意味かというと違います。biếcは「藍色の、緑がかった青色」という意味です。直訳するなら「つぶらな瞳」ではなく「藍色の瞳」なのですが、訳者は「つぶらな瞳」がふさわしいと思ったのでしょう。ベトナム人で藍色の瞳を持った人はまずいませんwちなみに映画のハー・ラン役のNguyễn Trúc Anhもやや茶色の瞳で藍色とは程遠いですね。biếcはガンがハー・ランの瞳を美化した心の中の色なのです。

それではbiếcは具体的にどんな色なのでしょう。biếcに対応する英語の概念tealを参照すればわかりやすいです。英語のtealは青緑色のことなのですが、元々はコガモを意味します。つまり鴨の頭の青緑色の毛色がteal=biếcの色になったのです。鴨の羽色という言葉もあります。

鴨の羽色 - Wikipedia

 

ここまでくると私の言いたいことがわかるでしょう。つまり「Long」は鴨、「Mắt biếc」の鴨の羽色に対応しているのです。「Mắt biếc」はハー・ランの中だけではなく、チャー・ロンの中にもある。作者がハー・ランの娘の名に「Long」を選んだのは、母親の「Mắt biếc」を娘の名前の中に痕跡として残すという意図があったからだと推測します。いかがでしょうか?

 

ちなみに英語版の映画ではTeal eyesではなくDreamy eyesという題名のようです。これも素敵な訳ですね。

ベトナムのベストセラー小説「つぶらな瞳」を読む。その2

 

②物語の舞台はどこ? 

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 前回の記事ではあらすじのみとなりましたが、今回からは作品の内容について語りたいと思います。

この物語の舞台はベトナムのどこなのでしょうか?

本文では何省の何県の出来事なのかは明記されていません。

主人公の生まれたドードー村を除けば、「県都」とか「都会」といった表現がされていて、物語の舞台となっている場所は意図的に特定できないように書かれているようです。作者は物語の舞台を積極的に隠していると推測できます。

作品中に登場する地名は以下のたったの4つです。

  1. ドードー
  2. バンメトート
  3. クイニョン
  4. ダラット

驚いたことにハノイホーチミン市の名前さえ登場しないのです。

 1、ドードー

ガンたちの生まれ故郷であるドードー村についてですが、調べた結果それらしい自治体は存在しませんでした。ドードー村はあくまで小説の舞台であり、正確には別の村名でモデルが実在するようです。これは後ほど言及します。

2、バンメトート

「Thành phố Buôn Ma Thuột」はベトナムの中部高原地域に位置するダクラク省省都です

ガンが6年生に進級したときに下宿していた大家のナム・トゥーおばさんの上の息子が兵役でバンメトートに行ってしまったという記述があります。[1章19]

3、クイニョン

「Thành phố Quy Nhơn」はベトナム南中部、ビンディン省省都です。

ガンが11年生を終え、入学した師範学校があったのがクイニョンでした。[2章24]

実際にクイニョンには昔から師範学校があり、現在はクイニョン大学に統合されているようです。

4、ダラット

「Thành phố Đà Lạt」は、ベトナム南中部の都市でラムドン省省都です。

ユンはビック・ホアンと結婚したのちダラットへ行った。[3章4]

(原文はダラトになっていますが、一般的に知られている地名のダラットと同じ都市と推定します)

 

 位置関係を地図で示します

 

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所在不明のドードー村を除き、これらの都市はベトナムの南部地域の主要都市です。仮にドードー村が北部にあるとすると、もっと北部の都市と関連付けられるはずです。例えば兵役で北部の農村出身者が南部の部隊に配属されるのでしょうか?時代的にそれは考えにくいでしょう。ガンがクイニョンの師範学校に学んだということからも、その近縁の省にドードー村があったと考えるのが自然でしょう。

そうすると邦訳「つぶらな瞳」の帯にある「ベトナム北部の農村、ドードー村」とはいったいどういうことでしょうか?作品中には北部を示唆する記述は全くありません。ドードー村が北部というのは根拠がないように思えます。

かといってドードー村が南部にあるという直接的な根拠もありません。あくまで南部にあると推測するにとどめておきましょう。

 

本文からは物語の舞台を特定するには至らなかったわけですが、ベトナム語wikipediaに特定の大きな手掛かりがありました。

Ngạn sinh ra và lớn lên ở một ngôi làng tên là làng Đo Đo (thuộc xã Bình Quế - huyện Thăng Bình - tỉnh Quảng Nam - cũng là nguyên quán của tác giả)

Mắt biếc (tiểu thuyết) – Wikipedia tiếng Việt

 つまり、ガンの生まれ育った「làng Đo Đo」はクアンナム省タンビン県ビンクエ村の中にあるとのことです。そして、ここはまた作者の出身地でもあります。

làngという言葉ですが辞書によると、一番小さな行政区分のxãよりも小さな区分の村落で、さらに下にthônがあります。xã(社)の人民委員会は見たことがありますが、làngやthônは聴いたことがありませんでした。行政の単位としてはxãまでなのだとおもいます。

グーグル地図で探すと一発で見つかります。

www.google.com

私の村にはドードーという名の市場があって、昔からそれが村の名前になっている。[1章3] 

ドードー市場は実在します。壁を黄色く塗られた、地方によくある小さな市場です。 作者の出身地とも一致するということでこの場所がモデルだと考えて差し支えないでしょう。

 

さて、それでは本文にある「県都」、「都会」はいったいどこなのでしょうか?

県都は容易に特定できます。Thăng Bình県の県都と言えるのはthị trấn Hà Lamでしょう。thị trấn(市鎮)はその県の中心になる都市で、他は全てxã(社)です。

都会については漠然としすぎていますが、高校進学のために行ったというので最寄りの大都市だということが確実です。高校進学のためダナンや省外まで行くのは考えにくく、省都のタムキー(Thành phố Tam Kỳ)だと想像できます。

位置関係を地図にします

f:id:danangronin:20200302001348p:plain

タンビン県はすごく広く、ドードー村からハーラムまではおよそ14キロの道のりです。ハー・ランもガンもこの道を自転車に乗って実家に帰っています。

タムキーもドードー村からは17kmほどの距離です。自転車で行けなくはない距離です。

しかしここで大問題が発生します。ガンたちは都会から県都までバスで半日余りの距離を移動しているのです。

私は毎月のように村に帰っていた。バスに揺られてうつらうつらしながら半日余りを過ごすと 県都につく。そこから村までは自転車に乗った。[2章6]

 今現在バスで半日の距離を仮定すると300km程度走ることになります。当時の道路事情が劣悪であることで2倍の時間を要したと想定してもフエまで(およそ140km、時速30kmで4時間半)行ってもおかしくない距離です。省都のタムキーに高校は無いのでしょうか?都会というのはひょっとしたらダナンという可能性もあるのでしょうか?

仮に都会がダナンだと仮定しても陸路で60km余りの距離です。とても「バスで半日余り」とは思えませんが、停留所での停車や操車場での乗り継ぎの時間のロスを考えればないとは言い切れません。都会=ダナン説も可能性はあります。

また、タムキーからバスでハーラムまで移動してドードー村に自転車で戻るというのは非常に不自然な旅程になっています。それなら直接タムキーからドードー村に自転車で戻ったほうが早いのです。

ただ、ベトナム戦争終了からさほど時間がたっていないと仮定したところでクアンナム省内に高校が存在しないということは考えにくいです。私としてはドードー村からの進学先の都会=タムキーである可能性が高いと思っています。

上記の箇所はいったいどういうことなのでしょう?本当にその通りに移動していたのならとても遠い都市にいたということになります。作者はクアンナム省をモデルにしているにせよ、実際には架空の地理を設定しているのではないでしょうか。この「都会」については、実在の都市の要素をいくつか集めて作られた架空の都市なのではないかと思うのです。

 

あとがき

クアンナム省省都タムキーは適度に発展した人口17万人ほどの都市です。私はダナンに駐在していた時に2回訪問したことがあります。1回はバイクでツーリングをした途中、もう1回は今の妻と共通の友人の祖母の葬式に参列するために今の妻とバイクで二人乗りで訪れました。国道はとても広く、対向車に注意を払いながら80kmぐらいで強い風を受けながら走ったのはとてもいい思い出です。

ベトナムのベストセラー小説「つぶらな瞳」を読む。その1

www.viet-jo.com

ベトジョーで取り上げられているように映画「Mắt biếc」がベトナムで大ヒットしているようです。

 ネットで見える予告編しか見ていないのですが、とても素晴らしい映像の美しさで期待できる作品だと思います。特に主演女優のNguyễn Trúc Anhの魅力が最大限に発揮されています。

私が最初にベトナム映画を見たのはもう20年ほど昔です。「青いパパイヤの香り」という映画でした。当時は全くベトナムには興味がなかったのですが、ポスターの少女の瞳が印象的で借りてみた記憶があります。

この映画もすごく映像が美しかったです。古い時代のベトナムの建物や生活習慣が淡々と映し出されますが、全体的に暗く光の入れ加減を緻密に計算した映像に引き込まれていきます。この映画以来、映像美はベトナム映画のお家芸でしょう。

残念ながら「Mắt biếc」はいまだ日本では公開されておらず、公開はまだ先になると思います。ただ、「Mắt biếc」の原作にあたるNguyễn Nhật Ánhの原作小説は「つぶらな瞳」という邦題ですでに出版されているのです。「Mắt biếc」はいまだ英語にも訳されていないのにすでに2004年に邦訳されているってすごくないですか?

つぶらな瞳

つぶらな瞳

 

 映画を見たくて見たくて仕方ない私はかわりに「てらいんく」という出版社から刊行されているこの小説を早速購入して読みました。ベトナムの農村の村の景色と、主人公ガンのハー・ランへの苦しい心の葛藤が情緒豊かに描かれています。ベトナムが好きな人には是非一読していただきたいです。

 

あらすじ

注意!ここから先は壮絶なネタバレを含みますのでストーリーを知ってしまうのが嫌な方は引き返してください。

 第一章

ベトナムの地方にある小さな村、ドードー村に住む少年ガンは家族と親戚の女友達に囲まれて幼い時代を過ごすが、小学生になって学校に通うようになるとハー・ランという少女と出会う。ハー・ランは愛くるしく女性的な魅力があり、ガンは彼女の瞳に魅了され、のちに彼女を「つぶらな瞳」と呼ぶようになる。

ガンとハー・ランは柿を拾ったり、カエルを捕まえたりと子供らしいあそびで友情を育み、小学校5年生のころには下校もいつも一緒にするような間がらになっていた。ハー・ランはガンが危険な遊びや喧嘩で怪我をすると傷口にオイルを塗ってあげる役を務めていた。

村の学校は5年生までの学級しかなく、6年生に進級したガンとハー・ランは県都の学校へ通うために生家を離れて県都で下宿することとなった。中学生となった二人は学校で一緒にすごすことはなくなったが、村に帰る週末にはテンニンカの森でフトモモの実を食べるなど仲のよい友達に戻っていた。

8年生になったころハー・ランは大人の女性へと急激に成長し、ガンはハー・ランを恋愛対象としてはっきりと意識するようになった。9年生になったころガンはギターを買い、ハー・ランへの思いを詩にして作曲に没頭していた。このころハー・ランは勉強のためにガンの下宿に訪れるようになり、ガンがギターを持っているのに気づき演奏をリクエストした。ガンは演奏をハー・ランに褒められるが自分が作曲した曲だとは言いだせなかった。ハー・ランへの思いを曲に込めるだけで、気持ちを打ち明ける勇気を持つことができなかった。

その年のテトにガンとハー・ランはまたテンニンカの森へ遊びに行った。ガンはまたハー・ランにギターを弾き、自作の「幼いままでいられたら」を演奏した。ハー・ランはガンが作った曲なのかと尋ねるとガンは黙って頷いた。ガンはハー・ランに曲を褒めらたことに舞い上がり、今までの曲は自分が作ったものだと打ち明けたが、ハー・ランにはずっと前から知っていたと素っ気なく返されてしまう。それからガンは自分の心を歌にしてハー・ランに吐露するのだが、ハー・ランの態度は素っ気ないまま都会へ旅立って行ってしまう。

第二章

ハー・ランは一度村へ戻ってきたが、足にぴったりとした西洋風のズボンを履き、Tシャツを着て髪を短くカットしていた。ハー・ランは都会をほめたたえ、村をけなす。都会での生活が楽しくてたまらないようだった。

ガンも10年生(高校生1年)に進級するために都会へ出てきた。都会の繁栄と豊かさに圧倒されるが、ドードー村には別の美しさがあることに気付く。

ガンは薬局を経営する裕福なフアン伯父の家に下宿する。そこには3歳年上の長男ユンが住んでいた。ユンは遊び人で勉強もせず悪友と遊んでばかりの不真面目な男だった。

ハー・ランは裕福な伯母の家に下宿していた。伯母夫婦には子供がいなかったのでハー・ランは伯母にかわいがられていた。

ハー・ランは女子高に入学したので学校で会うことはなくなったが、ガンは校門の前で彼女が出てくるのを待って、いっしょに自転車で彼女の下宿まで送るのを日課にしていた。ハー・ランはほとんど村に帰ることはなかったし、故郷の様子を気にするそぶりもなかった。

ある日、期末試験のためにガンに本を借りるためにハー・ランがガンの下宿にやってくる、そこでハー・ランはユンと出会い意気投合する。翌日ガンはユンが女子高の前でハー・ランを待ってるのを目撃した。その後ユンは一度下宿にハー・ランを送り届け、ハー・ランは華やかな服に着替えてユンのバイクに乗って遊びに出かけていった。その一部始終を目撃したガンは打ちのめされる。結局ユンが家に帰ってきたのは夜も更けてからだった。

その後、ユンはハー・ランを頻繁に誘い出して遊びに行っているようだった。ガンはハー・ランを避けるようになり、ハー・ランもなるべくガンに合わないようにするようになった。

しかしある日突然目を赤く泣きはらしたハー・ランがガンのもとを訪ねてきた。ユンがビック・ホアンという別の女と付き合っているようなのだ。ガンは心の中で二人の破局を喜んだが、すぐにユンへの怒りとなりユンを郊外に連れ出して殴り合いのけんかをすることになった。この後、ユンは結局ハー・ランとよりを戻している。

この年の夏休みにハー・ランは20日ほどしか村へは帰らず、ほとんどを都会で過ごした。ガンも村に戻ったがハー・ランとはほとんど話すこともなかった。ガンはほとんど毎日森へ出かけて昔のことに思いをはせていた。

11年生に進級したガンは勉強に没頭した。一方ユンは遊び相手の女をくるくると変えていた。ハー・ランは再びガンの元を訪れてガンの肩に顔を埋めて泣きじゃくった。それでもハー・ランはユンと別れられないようだった。ガンはハー・ランに心を痛め、同時に失望する。

ユンとハー・ランとの関係は年の末までずるずると続いて、結局ハー・ランは17歳でユンの子供を妊娠してしまった。ハー・ランは学校を退学した。ユンはハー・ランと結婚の約束をしたようだが、期末試験を理由に引き延ばし、結局9か月の兵役を終えるまで結婚式は先延ばしとなった。

ガンは11年を卒業した後、教員になるためにクイニョンにある二年制の師範学校へ進学した。ガンはハー・ランと手紙をやり取りし、チャー・ロンと名付けられた女の子の誕生を知った。その後別の便りで衝撃の事実を知る。ユンは兵役から戻ってきたがビック・ホアンと結婚したというのだ。ガンはすぐにハー・ランの元に戻る決意をする。

第三章

ガンは師範学校を卒業後に帰郷し小学校の教師となった。村の若者は出て行ってしまうがガンの少年時代からかかわりのある人たちは変わらずに残っていた。チャー・ロンはハー・ランの実家に預けられていた。ハー・ランは裁縫店の開業のため忙しく面倒を見られないからだ。ガンはハー・ランの化身のようなチャー・ロンに特別な愛情を注いで面倒を見る。

以前ユンとビック・ホアンが結婚したことを知って、急いでハー・ランのもとへ戻ったのは彼らの結婚式の10日ほど後だった。二人はダラットへ旅立ったらしい。ハー・ランは号泣した。ガンは三日間ハー・ランと過ごし励ました。それから師範学校を卒業するまでハー・ランのいる町には戻らなかった。

ガンはチャー・ロンの遊び相手になり、母親のもとに連れていくこともあった。チャー・ロンは母に村に帰ってきて一緒に住んでほしいと言うが、ハー・ランにはその気はなかった。都会から離れる気はないようだった。ガンの思いにも全く触れようとはしなかった。

ガンは少しずつ成長するチャー・ロンの世話をした。チャー・ロンは故郷を愛する少女へ成長していった。ガンはチャー・ロンの世話をすることで心が癒されていくようだった。

チャー・ロンが9年生に上がるころにはハー・ランとうり二つの美しい少女に成長していた。ガンはチャー・ロンの母親譲りの美しい瞳に動揺し、チャー・ロンを意識するようになった。そして精神的にも成長したチャー・ロンはガンの母への思いに薄々気づいて行った。

ある日、ガンがチャー・ロンを連れてハー・ランを訪ねるとリンという男に出くわした。リンはハー・ランと交際していたが、チャー・ロンを見てハー・ランの娘であると気付いて、それを理由に去って行った。ハー・ランはリンと付き合っていた理由はユンによく似ていたからだと告白する。ガンはいまだにユンのことを引きずっているハー・ランに失望する。

村に帰ったガンは取り乱し、ハー・ランを思って作曲した曲を一心不乱に演奏する。チャー・ロンはリンに出くわした時のこともあり、母とガンの関係を悟っていた。歌を聞いていたチャー・ロンは母のことを歌っていたのかとガンに尋ねる。ガンはハー・ランのことを歌った曲だと認めた。

ハー・ランの母はガンとハー・ランが結婚することを望んでいた。ハー・ランが帰郷したときそのことを話した。その話の途中でたまたまガンがハー・ランの家を訪ねたとき、二人は話を中断したがハー・ランの頬には涙の跡があった。ガンはそれが気になり、後日母親に話の内容を尋ねた。ハー・ランの母はハー・ランにはガンと結婚する意志がないと伝えた。ガンは絶望し重苦しい日々を過ごすことになった。

チャー・ロンは9年生を終了した後は中等師範学校に進学し、3年後に村に帰って教師になる決意をした。ハー・ランの住む町だが、母親とは暮らさず叔母の家に住むことにした。チャー・ロンは勉強に専念しあまり村には帰らなかったが、夏休みの3か月は村でガンと一緒に過ごした。ガンは悲しみを乗り越えてチャー・ロンとの日々に喜びを感じていた。夏休みを終え学校に帰るときには、「あと2年の辛抱よ」とガンとの未来をにおわせる言葉を残して戻って行った。

翌年、ハー・ランは結婚した。ガンは結婚式の贈り物を送っただけで式には出席しなかった。

半年後、チャー・ロンは中等師範学校を卒業し、村に戻ってきた。チャー・ロンはガンへの好意をそれとなく態度で示す。ガンもチャー・ロンとの結婚を意識する。ハー・ランもガンとチャー・ロンがうまくいくことを望んでいるようだった。

ガンはかつてハー・ランと座って夕日を眺めた岩の上にチャー・ロンと腰を掛けてギターを奏でた。二人は抱きしめ合いキスをする。しかしその瞬間、ガンは脳裏にハー・ランを思い浮かべてしまう。この瞬間を何年も待ち続けていたのはハー・ランに対してだったのだ。恐れおののいたガンはチャー・ロンから離れ茫然自失のまま帰宅する。

ガンはチャー・ロンへの愛は形を変えたハー・ランへの愛でしかなかったと悟り、だれにも気づかれないように一人村を去る決意をする。

 

ベトナム人が日本で自動車免許を取得するいちばん簡単な方法

たまには有用な記事を書こうと思います。

ベトナム人が日本で自動車免許を取得するのは難しいです。

自動車免許を取得するためには試験を受けて合格する必要があり、そのためには漢字を含めて日本語を読解する能力と、日本の交通法規の知識が必要です。

我々が自動車学校に通って四苦八苦して運転免許証を取得したことを思い出してみてください。あれを外国語でやるんですよ!かなり厳しいのは容易に理解できると思います。

 

自動車免許取得の流れ

1、自動車学校に入校(お金がかかる)

2、学校内での実技教習

3、仮免許の検定→合格

4、路上実習

5、卒業検定

6、筆記試験

 

上記の1~6の中で1から5まであるていど日本語がわかればなんとかなりますが、難しいのは6ですね。N2以上の日本語力とかなりの勉強が必要だと思います。

ところで、この6の筆記試験を回避する方法があります。そこがポイントです。

 

 日本では「外国免許の切り替え」という制度があります。これは外国で取得した有効な免許証をもつ人は、一定の条件を見たせば日本の免許証を取得することができる制度です。

岡山県の例を参考にすると、「有効な外国等の運転免許証(仮免許証を除く。)をお持ちの方で、その免許を取得した後通算して3か月以上免許証の取得国等に滞在しており、これを証明(パスポート等で確認)でき、また、道路交通法で定める、申請する免許種別の取得条件(年齢、経験等)を満たすことが条件」に免許を申請し取得できます。

用意するものは

1、バイクの免許証(A1でかまいません)

2、パスポート

3、免許証の翻訳(JAFで翻訳してくれます。ベトナム語対応)

4、住民票

5、顔写真

です。

 

住民票?何それ?在留カードだけじゃダメなん?という方は電話して聞いてみてください。一応定住者を念頭に置いた制度のようなので。あと、多少の費用が掛かります。

 

手続きには事前審査と適性試験等があります。

事前審査では上記の資格を満たしているかの他に、運転免許取得方法についての質問があります。これはかならず打合せしておいてください。明確に答えることができなくて不合格になった知人がいます。

最低限、取得した年度、場所、学校名、どんなテストをしたのか、を日本語ではっきりと答えられるようにしましょう。できれば取得時に返却される書類を提出したほうが良いです。

もう一つ重要なことですが昔のラミネートされた紙の免許証は無効なようです。新しいプラスティックの免許証を取っておきましょう。

 

適性検査は視力検査や片足立ちなど普通の人なら問題ありません。

知識確認は〇×問題を10問やります。一般的な交通ルールで7問正解で合格です。かんたんらしいですが、日本の交通ルールを一応勉強しておきましょう。

技能確認は実際に免許センターのコースを走ります。ふつうに走るだけではなく、3秒前に方向指示して右側によってなど教習所独自のルールがあるのでけっこう難しいです。ぶっつけ本番でベトナム流の運転をするとまず合格させてもらえません。

自信が無い場合はあらかじめ自動車学校で教習を受けることができます。1回の教習で5000円ほどかかりますが、妻は2回の教習を受けて免許センターの試験に臨んで一発合格できました。身の回りの例では何度も不合格になっている人がいます。

 

こうして各種試験に合格できれば、我々が持っているのと同じ日本の正式な運転免許証が取得できます。A1免許ですと125㏄までの小型自動二輪(原付2種)のAT限定免許が取得できます。125㏄以下のピンクのナンバーのスクーターに乗ることができます。

 

バイクに乗ることができれば日本での生活はかなり楽になると思います。自転車しか運転できないと就業範囲にも影響するので大変困ります。

 

さて、それでは次は自動車の免許の取得ですが、自動車学校には入らなくてはなりません。免許センターでぶっつけ本番は無理すぎます。数十万の出費は覚悟してください。

自動車学校で入校するときにいろんなコースがあると思いますが、ここで自動2輪の免許が役立ちます。自動二輪の免許を取得していればすでに学科試験に合格しているということで、学科と筆記試験が免除になるのです。つまり、自動車免許取得の一番の難関、筆記試験をパスできるのです。(ついでに学科免除は教習料金も安い)

あとは教習所で実技の講習を受けて卒業検定に合格すれば警察署で自動車の運転免許証を受け取ることができます。

 

ところで、そもそもベトナムの自動車免許(B1、B2)を持っていたらそのまま切り替えの手続きができるんじゃないの?と思われた方もいらっしゃると思います。

ええ。もちろんそれがいちばん手っ取り早いです。

しかしベトナム人で自動車免許をもっている人は少ないですし、アラフォー男性とベトナム人美女との純愛を応援するという幣アカウントの趣旨からスクーターにしか乗ったことのない日配のベトナム人女性の免許取得を念頭に書いてみました。

おしまい

 

ベトナム難民の郷愁を歌った名曲、Hello Viet Nam

仕事が繁忙期に突入してついでに子供が生まれて1年ぐらいブログをさぼりました。

唐突ですがベトナミーなすごくいい曲を見つけたので紹介。

 


Hello Viet Nam║Pham Quynh Anh HD║Lyrics[HD Kara + Vietsub]

 

 

歌詞:

Tell me all about this name that is difficult to say

It was given me the day I was born

Want to know about the stories of the empire of old

My eyes say more of me than what you dare to say

All I know of you is all the sights of war

A film by Coppola, the helicopter's roar

One day I'll touch your soil

One day I'll finally know your soul

One day I'll come to you To say hello Vietnam

Tell me all about my color, my hair and my little feet

That have carried me every mile of the way

Want to see your house, your streets

Show me all I do not know

Wooden sampans, floating markets, light of gold

All I know of you is all the sights of war

A film by Coppola, the helicopter's roar

One day I'll touch your soil

One day I'll finally know your soul

One day I'll come to you

To say hello Vietnam

And Buddha made of stone watch over me

My dreams, they lead me through the fields of rice

In prayer, in the light, I see my kin

I touch my tree, my roots, my begin.

One day I'll touch your soil

One day I'll finally know your soul

One day I'll come to you

To say hello Vietnam

One day I'll walk your soil

One day I'll finally know my soul

One day I'll come to you To say hello Vietnam

To say hello Vietnam

To say xin chao Vietnam 

 

へたくそな拙訳:

この発音の難しい名前についてすべて教えてください

私が生まれた日に与えられた名前です

古代の帝国の物語について知りたいです

あなたが言おうとすることよりも私の目は多くを語っています

あなたについて知っていることは全て戦争の光景です

コッポラの映画、ヘリコプターの轟音

いつの日かあなたの土に触れよう

いつの日かついにあなたの魂を知ろう

いつの日かあなたに会いに行き言おう

こんにちは、ベトナム

 

私の肌の色、髪の毛についてすべて教えてください

長い道のりを運んだ小さな足についても

あなたの家を、通りを見たいです

私の知らない全てを見せてください

木でできた小舟、水上マーケット、金の光

あなたについて知っていることは全て戦争の光景です

コッポラの映画、ヘリコプターの轟音

いつの日かあなたの土に触れよう

いつの日かついにあなたの魂を知ろう

いつの日かあなたに会いに行き言おう

こんにちは、ベトナム

 

石でできたブッダに私は見守られ

私の夢は私を水田へ導く

光の中で祈り

私は親族に出会う

私の家系に、私のルーツに、私の始まりにたどり着く

あなたについて知っていることは全て戦争の光景です

コッポラの映画、ヘリコプターの轟音

いつの日かあなたの土に触れよう

いつの日かついにあなたの魂を知ろう

いつの日かあなたに会いに行き言おう

いつの日かあなたの土を歩こう

いつの日かついにあなたの魂を知ろう

いつの日かあなたに会いに行き言おう

こんにちは、ベトナム

シンチャオ、ベトナム

 

 

外国に移住したベトナム難民の2世(あるいは幼いころに移住した1世?)が、未だ訪れたたことのない祖国ベトナムへの慕情を歌った名曲です。

オリエンタリズムがプンプン匂ってくる歌詞ですが、それがかえって戦争映画の舞台と旅行ガイド程度のことしか故郷を知らない語り手の現状と、故郷へのあこがれをうまく表現しています。

歌手のPhạm Quỳnh Anhは最初アメリカ人かと思いましたがベルギー人のようです。

ファム・クイン・アイン - Wikipedia

1987年生まれ。ベトナム戦争終結後に生まれた難民2世です。容姿から推測するに両親ともベトナム人だと思います。両親ともにベトナム系だと自分のルーツであるベトナムへの思いは特に大きいものがあると思います。それがこの美しい歌詞と歌に出ているように思えます。

 

ちなみに話は全くかわりますが、Phạm Quỳnh Anhの漢字表記は范瓊英。瓊英は水滸伝の後半(梁山泊北宋に帰順した後)に出てくる16歳の美少女で夢の中で張清から石礫を伝授され、その後に師匠張清とリアルで出会って恋に落ちて結婚したという今どきのオタク向けアニメの設定かよ!という萌えキャラなのです。昔の中国人も萌えポイントは同じなのかと。関係ないですね。

 

ちなみに話は全く変わりますが、Phạm Quỳnh Anhの生まれた都市リエージュは聖フベルトゥスが司教を務めた都市ですね。フベルトゥスは狩りの途中に鹿の角の間に十字架を見たことで回心して後に狩人の守護聖人になった人物です。狩猟民にとっては縁があります。関係ないですね。