ベトナムのベストセラー小説「つぶらな瞳」を読む。その5
⑤物語の年代はいつ?
今回のテーマは「つぶらな瞳」がいったいいつの時代の物語なのかということです。
最初から最後まで読み通しましたが、直接年代を表明している箇所はありませんでした。この物語はベトナムの現代史に基づいたリアリズム文学ではなくて、ストーリーと主人公ガンの心の葛藤が中心になっているヤングアダルト文学なので、年代というものは重要ではなく物語の世界観としてあればよいのです。
しかし、それでもいつの出来事か気になりますよね。それを特定したいと思います。本文中には手掛かりとなる箇所が2か所ありました。
・物語に出てくる楽曲のリリース年
この物語にはガンたちの生きた時代を示す手がかりとして南ベトナムで活躍した歌手の名前がいくつか登場しますがキャリアの長い有名歌手ばかりなので年代特定は困難です。ところが2章3でユンがガンに聞かせた曲は歌手の名前ではなくて、曲名なのでそのリリース年がその時点での年代の下限だと考えて差し支えないでしょう。曲名は3曲あります。①「ビューティフル・サンデー」②「ラムール・セ・プール・リアン」③「アリーン」です。
「ラムール・セ・プール・リアン」はエンリコ・マシアスが1964年にリリースしています。「アリーン」はクリストフが1965年にリリースしています。そして「ビューティフル・サンデー」ですが、1976年に田中星児がカバーして日本でもヒットしますが、オリジナルは1972年にダニエル・ブーンがリリースしています。
つまりガンが10年生に進級してユンと同じ家に下宿し始めたときは1972年以降であると推定できます。
・ナム・トゥーおばさんの息子の負傷
ガンが6年生に進級したときにナム・トゥーおばさんの家に下宿します。このナム・トゥーおばさんには息子がおり、この時兵役でバンメトートに行っています。(1章19)
チャー・ロンが6年生に進級するとき、すでにその息子ニャンは「バンメトートの戦場に出征し、片足を失って除隊した」らしいのです。(3章11)
この間の時間はおよそ17~18年です。ガンが11年生を終えてクイニョンの師範学校に進学してしばらくしてハー・ランはチャー・ロンを出産しています。当時ともに17~18歳のはずです。
いったいいつニャンは負傷したのでしょう?
ユンが9か月で兵役を終えているのに対して10数年も戦場にいるというのは不自然です。当時の南ベトナム政府の徴兵制度の詳細を見つけることはできませんでしたが、2年以内だと考えるのが妥当でしょう。つまりニャンがバンメトートにいたのはガンが6年生になった直後1~2年の出来事だと思われます。
そしてバンメトートで戦闘があったのはいつかというと、ベトナム戦争が終結間近の1975年3月です。ということは学年の始まりは9月なので、もし1975年の9月にガンが6年生に上がったとすると矛盾しますので、1973~1974年にガンは6年生に上がったと推定できます。
また以下の記述も参照する必要があります。
私たちはナム・トゥーおばさんの家にも寄ってみた。おばさんはすぐに私のことを思い出して、「あらまあ、ガンなのかい?ほんとに久しぶりだねえ」と、うれしさを隠し切れないようすで言った。(3章11)
ニャンというのはナム・トゥーおばさんの息子だ。バンメトートの戦場に出征し、片足を失って除隊した。おばさんは彼が死なずに帰ってきたことを心から喜び、線香に火をともして神仏に祈りをささげたが、ニャンは違った。(3章11)
ナム・トゥーおばさんの様子から見て、ガンが都市に進学するために下宿を出て以来訪問を受けていないことが見て取れます。なぜ訪問していないのにおばさんが「線香に火をともして神仏に祈りをささげた」ことを知っているのでしょう?もちろんガンがおばさんの家に下宿している間にニャンは負傷して除隊してきたのです。そうするとガンが9年生を終えるまでにニャンが負傷していたのは確実になります。
ただ、ガンが9年生の時に除隊した場合は兵役の期間が長すぎるようなので、ガンが7年か8年生の時に除隊したと見てよいと思います。
その場合、ガンが10年生のころが1977年~1978年だと思われるので「ビューティフル・サンデー」が歌われている年代とも矛盾しません。
まとめると、以下の年表が成立すると思われます。
年代 | ガン年齢 | 学年 | チャー・ロン年齢 | 学年 | 出来事 |
1962 | 1 | ガン、ハー・ラン誕生 | |||
1963 | 2 | ||||
1964 | 3 | ||||
1965 | 4 | ||||
1966 | 5 | ||||
1967 | 6 | ||||
1968 | 7 | 1 | |||
1969 | 8 | 2 | |||
1970 | 9 | 3 | |||
1971 | 10 | 4 | |||
1972 | 11 | 5 | |||
1973 | 12 | 6 | 県都へ | ||
1974 | 13 | 7 | |||
1975 | 14 | 8 | ベトナム戦争終結 | ||
1976 | 15 | 9 | |||
1977 | 16 | 10 | 都会へ | ||
1978 | 17 | 11 | |||
1979 | 18 | 12 | 1 | チャー・ロン誕生 | |
1980 | 19 | 2 | |||
1981 | 20 | 3 | |||
1982 | 21 | 4 | |||
1983 | 22 | 5 | |||
1984 | 23 | 6 | |||
1985 | 24 | 7 | 1 | ||
1986 | 25 | 8 | 2 | ドイモイ政策開始 | |
1987 | 26 | 9 | 3 | ||
1988 | 27 | 10 | 4 | ||
1989 | 28 | 11 | 5 | ||
1990 | 29 | 12 | 6 | ||
1991 | 30 | 13 | 7 | ||
1992 | 31 | 14 | 8 | ||
1993 | 32 | 15 | 9 | ||
1994 | 33 | 16 | 10 | ||
1995 | 34 | 17 | 11 | ハー・ランが結婚 | |
1996 | 35 | 18 | 12 | 物語の終わり |
ちなみにこの年表は満年齢ではなく数え年で計算しています。
文中には特に注釈は無いですが、ベトナム的には数え年で表現されているはずなので。
また、ニャンの負傷した1975年3月にガンが7年だったか8年だったかで誤差は-1歳生じます。
この物語はベトナムの戦後文学とは思えないぐらい戦争への言及がありません。しかしガンやハー・ランはベトナム戦争真っただ中の戦中世代なのです。一方、チャー・ロンが育ったのはドイモイ政策が採用された新しい時代のベトナムなのです。
映画を見た方は映像で年代を理解することができるでしょうが、小説はパズルを作るように読んでいくしか知るすべがありません。こうして読んでいくことで登場人物の輪郭がはっきりして、物語が生き生きとしてくるのを感じます。
それにしてもハー・ランは美女とはいえ、34歳で17歳の子持ちでよく結婚できましたね。これならガンにもチャンスがあったのではと思うのですが・・・