ベトナムのベストセラー小説「つぶらな瞳」を読む。その4

④新しい時代の女ハー・ラン

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さて、前回はチャー・ロンの名前に秘密を深読みしていったわけですが、トンデモ解釈すぎますね。普通に考えたら「Long」は「隆」の可能性のほうが高そうです。

 

今回は物語の本題に入っていきます。

この物語でハー・ランはユンの子供を妊娠してしまい、その後、結局ユンは別の女性と結婚して町から出て行ってしまいます。おそらくこの小説の読者たちには、ユンはハー・ランを弄んでで捨てたとんでもない悪党だと思われているでしょうが、私の読んだ印象は少し違います。いや、むしろどちらが悪いという話ではない気がします。

 

ユンとハー・ランの関係について整理します。ストーリーを追いますと、ガンの下宿でハー・ランはユンと出会い、その後頻繁に遊びに行くようになります。(2章7)

その後、ユンはハー・ランと会わなくなり、ビック・ホアンとよく遊ぶようになります。ハー・ランはそのことを泣いてガンに訴えます。(2章13)

一時期、ユンはハー・ランとよりを戻します。(2章17)

しかし、ユンはまたいろんな女と遊ぶようになり、ハー・ランとは疎遠になります。ハー・ランは度々ガンに泣きつきます。(2章19)

結局ハー・ランはユンとの関係を断ち切れないままユンの子供を妊娠します。(2章20)

 ユンはハー・ラン以外にいろんな女と遊んでいます。しかしハー・ランはユンにぞっこんでユンを一方的に追いかけています。それは号泣するハー・ランに対してガンが付き合うのをやめろと言った時のハー・ランの返事でよくわかります

「でも私、ユンとのお付き合いをやめることは絶対できないの」(2章19)

 ハー・ランはユンの浮気に振り回され、苦しい思いをしようとも、絶対にユンと別れる気はないのです。もはや執念です。

 

一方でユンはどうでしょうか。ハー・ランは遊び相手の一人にすぎません。結局ハー・ランを妊娠させますが、結婚する意志は無いと考えるのが妥当でしょう。

ハー・ランはユンが結婚してくれると約束してくれたとガンに言います(2章22)、しかしユンは結婚式は秀才試験が終わるまで待つようにハー・ランに言っています。この「秀才試験が終わるまで待つように」というのはおかしな話なのです。

11年生に進級した私は勉強に没頭した。学年末には秀才一次試験 が控えている。落ちれば留年なので、だれもが目の色を変えて勉強していた。しかし、ユンだけは例外で、いつもふらふら遊んでばかりいた。たぶん戦場に押し出される前から落ちるのが目に見えていたので、どうせなら遊んだほうが得だと思ったのかもしれない。(2章19)

秀才試験があるというのにふらふらと遊んで勉強しないユンがなぜ秀才試験が終わるまで待ってくれというのでしょう?おかしな話です。この個所はユンの様子をただ伝えただけの箇所ではなく、「秀才試験」が結婚の引き延ばしの口実にすぎないということをにおわせるためのものです。

ユンは実際に秀才試験に不合格になりますが結婚式をあげることはありませんでした。そしてさらに結婚式は延期されます。

「ところで、結婚式のことだけど、ユンはどう考えてるの?」

「彼からは、九か月の兵役を終えるまで待ってくれって言われてるの」

ハー・ランはまばたきしながら、とりつくろうようにいった。 (2章24)

 この態度からハー・ランが困惑しているのがわかります。秀才試験のあと夏休みに入りハー・ランはこの時点で妊娠5か月になります。そして夏休みのあと9か月もすればおおよそ妊娠から14か月以上になり、結婚式は子供は生後5か月程度の時期になると思われます。子供を出産した後の結婚は当時のベトナム社会の感覚では不名誉なことです。現在のベトナムでも出来婚は多いですが、なんとかお腹に胎児がいる間に式を挙げようと躍起になっています。ハー・ランの困惑は当然でしょう。

あるいは、このハー・ランのとりつくろうような態度は、そもそもユンとの間で結婚について約束はできていなかったことを暗示しているとも読み取れます。兵役を終えるまで待ってくれというユンの話は実はハー・ランの苦し紛れの嘘で、結婚はこの時点で白紙だった可能性もあります。

ユンは兵役を終えた時点でビック・ホアンと結婚してしまいます。その結果から省みると、ハー・ランとの結婚式が不自然に延期されて行ったのは、最初からユンにはハー・ランと結婚する気がなかったからだというと理解するのが自然でしょう。

 

一方で絶対にユンと別れたくないハー・ランと、他方でハー・ランは遊び相手にすぎないユン。この二人の関係からハー・ランが妊娠に至った流れを追うと、私はハー・ランから仕掛けたと読み取るべきではないかと思います。いろんな女に手を出すユンに捨てられないようにするために考えたハー・ランの策は男女の関係になってしまうことです。ユンを体でつなぎとめるという最後の手段に打って出たのです。

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あなたに女の子の一番大切なものをあげるわ

 このように読んでいくとユンはハー・ランをだました悪い男なのでしょうか?彼は無責任な男ではありますが、ハー・ランの肉体を弄んで捨てた悪人というイメージとは違うと思います。彼は結局ビック・ホアンと結婚します。いろんな女と遊びながらも本命の女を絞り込んだのです。ユンは責任を感じてハー・ランと結婚するという選択肢もあったでしょうが、結局そうしませんでした。ハー・ランを愛していないからです。愛していなけれれば周りから何と言われようが結婚する気はないのです。自分の気持ちに正直に生きる新しい人間なのです。

このユンの態度はまたハー・ランにも当てはまることです。ハー・ランはガンの気持ちに気付きながらもずっと素っ気ない態度をとり続けて来ました。ハー・ランが愛しているのはユンでありガンには何の気持ちもないのです。結局ユンとは破局して年も30歳を過ぎて(ベトナムでは結婚相手がいなくなると言われる、女性にとっては恐怖の年齢です!)母親にガンとの結婚を勧められても首を横に振ります。周りに何と言われても愛していないなら結婚する気はないのです。

ユンもハー・ランも同じタイプの人間なのです。私がユンをけなしてハー・ランに同情する気にならないのはここのところです。彼らは新しい時代の人間です。自分の気持ちに正直で個人としての生き方があるのです。その結果について苦しむことになってもです。

 

一方ガンは古い人間です。自分の気持ちを前面に出すことができません。彼は結局ハー・ランに愛していると直接伝えることができませんでした。

私はガンとハー・ランが結ばれる可能性はあったと思います。ユンがビック・ホアンと結婚して、ハー・ランとユンの破局が決定したあとで自分の気持ちを伝えるべきではなかったかと思います。もちろんハー・ランは拒むでしょう。しかし、その後20年近くが経過して二人が30代半ばになった時どうなのでしょうか。

ハー・ランはリンというユンに似たタイプの男と付き合っていました。この時は31,2歳でユンと破局してから14、15年も経過していたのにです。ユンの影はずっとハー・ランに付きまとっていたのです。しかし、およそ3年後にハー・ランは結局別の男と結婚してしまうのです。

ガンがもしハー・ランに正面から気持ちを打ち明けて、子供のころからのようにずっとハー・ランを支え続けていれば、三十代後半になったハー・ランはガンとの結婚を考えた可能性もあったのではないかと思うのです。