間違った名前で航空券を買ってしまうとどうなる?

 結論から言うとかなりのお金を損します。

 

 まず、経緯から。


 今年の4月に妻の兄と兄嫁を観光のため日本に招待しました。その時にeDreamsという航空券の予約サイトでベトナム航空のチケットを買ったのですが、なんと兄の名字のTranを間違ってTarnと入力してしまったことに後になって気づきました。身分証明書と航空券の名前が一致しない場合は登場が拒否されるというのは知っていましたので、空港の窓口で気づくという事態にならなかったのが不幸中の幸いでした。次の日にeDreamsに電話してみましたが、つながりません。時間帯を変えて何度かけてもつながらないので英語のヘルプを読んでメールフォームに英文で要件を書いて送信しました。しかし、送信できません!


 どうしようもない会社だなと思いながらウェブサイトを隅から隅まで見ていくと日本語のヘルプがあって、そこに別の電話番号とメールアドレスがあったので要件をメールしました。こちらのアドレスは利用できましたが、ウェブサイトのトップに使用できない電話番号を放置というのはあまりにもひどいですね。東京にある日本語専用のコールセンターの職員は外国人ですが日本語は上手で丁寧でした。


 メールの返事が来て、ベトナム航空にかけあったが予約完了しているので変更はできないとのこと。このままでは搭乗できない可能性が高いので一度キャンセルして取り直すほうがよい、キャンセル手数料は9000円です、とのこと。高い!でも仕方がないので義兄のシートをキャンセルしてもらいました。


 購入金額(二人分)207,722円
 eDreams手数料 6700円
 ベトナム航空払い戻し手数料 2300円
 返金 90,712円


 まだ問題は解決していません。義姉のチケットは有効なのでこれと同じ便を取らないといけないのですが、エクスペディアでもeDreamsでも決済できないという謎の現象が起こりました。結局enaという別の予約サイトで探し当てて義兄のチケットを無事買うことになりました。これが117,712円。


 結局チケット代がトータルでいくらになったかというと


二人分のチケット207722円-払い戻し90712円+eDreams手数料6700円+ベトナム航空手数料2300円+再購入代金117712円=243322円


 最初の購入代金との差額の35600円が損失です。大きいですね。しかしこれはまだましなケースだと思います。このチケットはベトナム航空の正規の料金のチケットなので払い戻しの特約があります。もしも払い戻し不可の割引チケットだったとしたらゼロから買い戻しになります。名前のスペルを少し間違うだけで、恐ろしいですね・・・


 ところで、チケットを払い戻して買いなおさなくてもよい方法もあります。空港の搭乗手続きでゴネるんです。運が良ければベトナム航空の職員がスペルミスをその場で訂正してくれます。実際に搭乗手続きの段階でスペルミスが発覚して訂正してもらったという事例は聞いたことがあります。しかし、航空会社の正規のルールでは購入済みのチケットの名義の変更はできないことになっているので、こうした対応を必ずしもしてくれるとは限りません。搭乗を拒否される可能性も高いでしょう。海外旅行をしたことがないベトナム人夫婦のケースなので私はイレギュラーな事態は排除するために費用は掛かりましたがチケットを買いなおしました。


 名前のスペルを間違えただけで余分に36000円を支払うことになりました。購入時には注意しましょう。

 

 

ベトナム系アメリカ人シンガーソングライター、タオ・グエンのドキュメンタリーの記事

ww2.kqed.org

邦訳:

 多くの人たちにとって、移住の経験について語ることはためらわれることだ。移民や難民であることを伴う傷ついた組織をさらすのは二重に困難であるかもしれない。彼らは、常にコミュニケーションがうまくいかないことと言語体系が切り替わること、伝統的なものと不慣れなものとの衝突、そして最近数か月では、アメリカ国家のトップから下に達した白人至上主義のイデオロギーの露出を経験している。

 サンフランシスコに拠点を置くミュージシャンであり作曲家であるタオ・グエンは彼女のバンド『Get Down Stay Down』とともに、ベトナム難民の娘としての経験を伝えることを今もなお学び続けている。「私のキャリアは私と家族の経歴にもっとまっすぐに向き合うことの現在進行中の実験でした」とグエンは言う。

 『Nobody Dies』という9月10日午後6時30分にKQEDテレビで放映される新しいドキュメンタリーは、一人称のありのままの姿に迫るグエンの冒険の、おそらくもっともダイレクトなドキュメンタリーである。グエンが個人的そして政治的な喪失によって色あせた故郷に帰還するという甘くて苦い喜びを露にする深いショートドキュメンタリーになっている。

 この映画はタオとGet Down Stay Downが2015年の夏にベトナムに訪れた旅行の記録である。このツアーはアメリカ合衆国ベトナムの国交正常化20周年記念に合わせて行われた。これはグエンの最初のベトナム訪問だろう。彼女は続いて母親のニャンを招待した。ニャンは1973年にアメリカに移住してから彼女の故郷に帰っていない。母親をバンドに同行させるのに多少の説得が必要だった。

 「こんなやり方であなたが離れなくてはならなかった場所に帰ることにたくさんの疑念や不安がある」とグエンは言う。「彼女が愛した国はいろんな意味で失われました」

 バンドのショーに重点を置いたり、あるいはグエンの家族へのベトナム戦争の衝撃にとどまるのではなく、『Nobody Dies』は終始ニャンへのラブレターなのだ。私は母の中にある陽気さの目撃者になった、と彼女は最初に言っている。

 「今までの人生で、とりわけ難民であり移民労働者であるというレンズを通して私の母を見ていました」と彼女は言う。「母のネガティブな人生は彼女が故郷にいたときのやり方だとわかりました。そしてこのような自信を見ました・・・母が自分の境遇を引き受けることができて、自分に従うことができるという、このような活気を持っているように見えたことがとても信じられなかった」

 ディレクターのTodd Krolczykは同じく確かな目でベトナムの通りを彷徨った。彼は接近する価値がある製作者だ。ゆっくりと、二人のグエンの顔をバランスよくフォーカスしたワイドショットを撮影した。グエンの声が歌や会話で各シーンに加わっている。Krolczykとグエンの親密な友情ははっきりとわかる。そして、インタビューや旅の行程、グエンの10年の長いキャリアの過程に及ぶ歌を通じて、どのショットにも意図と感情を吹き込むKrolczykの能力が『Nobody Dies』に役立っている。

 重要なことだが、『Nobody Dies』もアジアの家族、とくに東南アジアの家族のメディアの表象について常に感じているがしばしば目に見えなくなっている過小評価された細部を見せている。それはこのドキュメンタリーが明確にした、気遣いと献身の小さな暗黙の注意書きだ。母親のグエンは娘にホテルの部屋でライチを差し出したことは、部屋のみんなが親しみを持っている場所で家族が集まっていることに広がっている。内情に通じた特異性のレベルで、『Nobody Dies』は普通のドキュメンタリーを超えている。

 グエン自身『Nobody Dies』の中で輝かしい位置にいる。大きな父親の不在の問題のように、敏感な問題を切り出す時でさえ、話の主題であるというよりもむしろ、ともに語る仲間のように扱われている。

 グエンの父はベトナム戦争中、南ベトナム空軍に従軍していた。そしてラオスにあるベトナム政府で働いていた彼女の母にGuamanian難民キャンプで出会った。二人はグエンが弟とともに生まれ育ったヴァージニアに移り住んだ。彼女が12歳になったとき、彼女の父は家族を捨てた。映画を通じて出てくる父親の映った写真の彼の両目は隠されていた。

 グエンは旅行の感情を彼女の5枚目のアルバム『A Man Live』に加工した。そのアルバムで彼女の父との関係を単刀直入に詳しく語っている。以前の作品でしばしばメタファーによって覆われていたこの主題を傷つきやすさを伴って扱っている。このアルバムは彼女の友人であるtUnE-yArDsのMerrill Garbusのヴァイブラントプロダクションに支えられている。この映画では、アルバムの中のように、グエンは感情移入して彼女の父親について語ることに疲れ切っている。

 「父に対してのあの戦争の衝撃についてもっと多く知りたいと思う」とグエンは言う。「そしてどんな種類のトラウマが、どんな種類の心的外傷後ストレスが彼に衝撃を与えたのか、その次に、残された家族に衝撃を与えたのか。彼が何であったかをもっと同情的で心を広くして探求しようとしています。そしてそれが彼がどこから来たのかという問いに進む助けになりました」

 『Nobody Dies』には注意を引く瞬間がある。グエンが父親が家族を捨てるときに残していったカーキ色のペリーエリスのジャケットについて語るときだ。グエンは幽霊のような彼女の父親の記憶を追い払うように引き裂いた。彼女が感情的に率直であるにもかかわらず、グエンがふるいにかけなくてはならないことがまだ山ほどあるのは明らかだ。

 グエンのようなストーリーは率直さに適していない。彼女がそれを完全に大衆の消費に供するには時間がかかるというのは理解できる。グエンのストーリーは家族関係の表面の下でぶつかっている世代間のそして歴史的な悲しみの幾重にも重なる層を取り除かなくてはならなかった。

 彼女が語ることは退屈なステレオタイプに向いている。つまり男性のアーティストよりも画期的ではないように見なされるためだけに、一人称の語りの領域を占拠している女性であるというステレオタイプ、また大衆に歓迎されるために同時に超越していて地に足がついていることを必要とするグエンのストーリーのような移民のストーリーだというステレオタイプだ。

『Nobody Dies』は政治的な声明ではなく、また実際にそのように取りかかろうとするものでもない。しかしこの旅を記録することと、それを聴衆と共有することはそれ自体が力強い破壊行動なのだ。

 

終わり

 

 ベトナム関連の英文記事の邦訳でもやってみようと思って最初に選んだのがこれで死亡しました。観念的で批評家的な気取った文体、一般的な語彙を意図的に回避した英検1級クラスのレア語彙の山、文法に沿って理解するのが困難な複雑な構文。日曜日は丸一日つぶれました。外国人には体によくない記事です。例えば

For her to open up lends itself to tired stereotypes: of women who occupy the realm of first-person storytelling only to be deemed less groundbreaking than their male peers, of refugee stories such as Nguyen’s needing to be simultaneously transcendent and grounded so as to be welcomed by the masses.

 このパラグラフの構文がさっぱりわからない。しかも何が言いたいのかもよくわからない。こういう批評家的文章はちょっと敷居が高すぎたな。

 

さて、アーティストのThao Nguyenについてだが、この記事で初めて知りました。

www.youtube.com

 

 映像当時32歳ですがアメリカ人的にはどう見ても高校生です。とてもキュート。自分の人生をエンジョイしているアメリカ人少女という印象で、本記事で語られるタオ・グエンとは全く異なる印象です。音楽はけだるい感じでフォークソングっぽさを感じます。アメリカの新しい世代らしい音ですね。

 ドキュメンタリーのNobody Diesについてはアメリカのマイナーテレビ番組のものらしく、当然のことながら見る機会に恵まれておりません。どこかに落ちていたら御一報いただきたく。

 ところでNguyenは英語でどう発音されるのだろうか?私はニューイェン以外に読めないと思うのだが、実際のネイティブの発音を聞いてみたい。

 

20170922

 Nguyenは「ウェン」と発音されるという説を発見。語の頭の子音のグが弱まった結果だろう。ベトナムのぶっかけ麺のmỳ Quảngもダナンでは「ミー・ウアン」と発音されることが多いが同じ原理か。